衛生陶器研究と公衆便所の詳細調査 - フィールドノート Level チラシの裏

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ある都会の片隅で見かけた謎の便所~2016/11 アフターサービス~

4年前に公開した大阪城公園駅至近の謎便所が撤去されたと巷のスズメの噂に聞き、タイミング良く大阪市内での仕事があった
先の日曜日深夜に現地調査を行ってきた。

その記事→ある都会の片隅で見かけた謎の便所

あぁ、噂どおりあの希少な構造を持つ便所は無くなってしまった。
大阪謎便所撤去-01

ネットで検索すると、撤去の事前通告を知らせる張り紙をされた状態の様子を見ることも出来る。
大阪謎便所撤去-02

トンネル式のメンテ蓋の鉄板その物の形に舗装され直した地面。
大阪謎便所撤去-03

どうした事か、ハイタンクの裏板を支えていた木っ端は高架橋のコンクリートに取り残されていた。
大阪謎便所撤去-04
この画像だけ初めて見た人には、この木っ端が何に使われていたかは答えられないだろう。
今の世に数多存在する所謂「使途不明系トマソン」はこうして生まれ保存されているのだ。
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今解き明かされる江戸便所の全て(二) *追記2

2016/10/30追記
7年前から続けている江戸便所の研究に大きな進展があり、過去記事との流れを見直そうとした所、
2011年に公開後いつの間にか保留状態にしていた記事が見つかったorz
今更どうしようも無いので、一部現状に合わせた編集をして続きとして再公開します。
2011/11/17追記
取り急ぎ新展開のお知らせ。
発掘した陶器片を保管してある倉庫に行く用事があったので、ついでに欠品が無いか
確認がてら破片を組み立ててみた。
edo-temp_91.jpg

底部の素材は表面に釉をかけてあるが、裏面は素焼きのままだ。
edo-temp_92.jpg

江戸便所の心臓部である底板を仮組みしてみた。この部品の全体画像は今回公開したのが世界初だろう。
上蓋も存在すると思っていたが、この部材を地面に埋め込む様に設置しただけの模様。
外周の縁部分にモルタルがこびり付いている。
edo-temp_93.jpg

続いて村万製陶所の便器。
edo-temp_94.jpg

正面ロゴマーク部分は、我が家に大切に保管してある。
edo-temp_95.jpg

2016/10/30編集
現在は高価だが良い接着剤が市販されているので、組み立て後に公開したいと思っています。
------
以下2011/11/13に公開した記事
------
毎度当ブログへのアクセスに感謝しております。

特にこの江戸便所関連記事への拍手が短期間で8となったのは異例のことで
私も驚いております。

現在、なかなか記事の続きが書けないのですが短時間でも資料の収集探索は続けていまして、
昭和60年頃私が撮影した江戸便所のある家屋画像が見つかったり、江戸便所の記述がある
昭和17年発行の古書入手等ができております。

edo_temp81.jpg

後々資料製の高いと思える様な記事にしたいと考えていますので、もう少し
時間をいただければと思っております。

2011/11/13 lcx7672

公衆便所@ナイト 第8夜 墨田区隅田公園デッキ際便所

東京の都心地区を南北に流れる隅田川。
そこに唯一の歩行者専用橋として架かる桜橋の袂に所在する墨田区隅田公園デッキ際便所。
橋自体が高い位置にある為、渡りきった先の道路を箱状のトンネルで跨いで町と繋がっているのだ。そのトンネルをデッキと呼ぶらしい。
隅田公園デッキ際便所1

桜橋を渡り、首都高沿いに北へ歩くと見えてくる。
隅田公園デッキ際便所2

あの著名な電波塔から直線距離で1キロも無い。
桜橋の開通年は1985年、この便所も同時期に前の歩道と一体で整備新設されたと思われる。
隅田公園デッキ際便所3

1985年(昭和60年)と言えば、戦前築の古い便所や男女共用便所が簡単に見られた時代だ。
ここは男子、女子、誰でもトイレと用途別に3棟が連立している。そして外観の曲面ガラスが目を引き樹脂材を多用した内装は、
当時の最先端公衆便所であったと思う。
隅田公園デッキ際便所4

しかし公衆利用ゆえ金属やコンクリートでない部分の痛みは特に激しい。同じような外観の便所は渋谷区や世田谷区でも見かけるが、
当時の部品も無いからか破損部の補修に相当な苦労を感じるのだ。
内部一式をユニット形式で交換できれば良いのだろうけど、そんな金を掛けるなら建て直しとなるのが現実の話だろう。
隅田公園デッキ際便所5

公衆便所@ナイト 第7夜 杉並区玉川上水永泉寺緑地便所

便所の屋根両端をV型に跳ね上げる。そんな形状の公衆便所が1960年代終わり頃から流行りだし、都内各所に設置された。
高度経済成長期には昭和初期から多く建てられて来た平屋根型公衆便所から見た目の変化が求められたのだろう。

ここ、東京都杉並区の公園便所は1960~1970年代にかけ、ほぼ同じV型屋根で設置された便所が多数現存している。
玉川上水永泉寺緑地便所1

基本的な構造はV字の流れに沿って「小便器、扉つき物入れ、大便器」の順に並び、小用だけなら男女顔を合わせずに済むと言うよく出来た設計だ。
R型の目隠しも大変有用である。
玉川上水永泉寺緑地便所2

この便所では鉄格子状の装飾が施されているが、場所によって様々なパターンが存在する。以下昼間の画像だが幾つかご紹介しよう。
玉川上水永泉寺緑地便所3

鳥とシャボン玉
壁画例1


壁画例2

子供が取れてしまっているが、鳥とシャボン玉別パターン
壁画例3

タイル張り
壁タイル例

つづく

公衆便所@ナイト 第6夜 豊島区立千早四丁目公園便所

関東では時期外れかもだが、散りぎわの夜桜&公園便所行ってみようか。
千早四丁目公園便所1

ここは公園だが単独公衆便所としても見かけるアルミパネルとその押し出し材で作られた公共利用用途の便所製品。
プレハブ便所とでも呼ぶ事にする。
都内でも昭和50年代に区を問わず公園を中心に設置され、第二次ベビーブームで生まれた子どもたちの公園利用時の
大小便需要に応えてきた。
千早四丁目公園便所2

配管基礎工事が終わればその上にささっと組み立てられる便所装置は、急ぎの需要には打ってつけの構造であったと思われる。
ただ簡単に施工できる=材料素材の劣化も早いのである。
異素材の合わせ目に掃除時の水が残留し、面材のアルミ薄板、亦は裏のベニヤの腐食を招いたのだ。
設置時期からも私が把握している都内各所に存在するプレハブ便所の痛みは相当に激しいので現在も鋭意取材調査継続中だ。
千早四丁目公園便所3

日本軽金属(株)パブリックトイレには、メーカーズプレートが設置されている事が多い。
この便所の製造日時は1983年(昭和58年)8月25日。何とも判り易い32年物の公園便所であった。
千早四丁目公園便所銘板

つづく
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