2016年05月 - フィールドノート Level チラシの裏

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

実は2度目。Google ストリートビューに写った話。

今年の2月8,9,12日の何れか朝8時前、仕事先のお店の目の前を左折しながら走り去るストリートビュー撮影車を見かけた。
以前別の場所で見かけた時はカメラを手に持っていたので即迎撃撮影できたが、今回は突然目の前に現れ
且つ両手に物を持っていたので何も出来ず「ガン見」で見送るだけだった。

何も出来ず、見送るだけの私。

一応証拠として画像に写っているドカジャンと黒いかばん。
ストリートビュー1

逆撮影が出来ず悔しさのあまり引き続き見送る私。


最初に写った場所は、定期的に3種の画像が差し替えられているので、また私が掲載されたら記事にします。
関連記事
スポンサーサイト

親子二代で実施した香川県高松市内の定点観測

1986年(昭和61年)夏、私は仕事の締め切りが終わった後からすぐ10日間の有給休暇を取り、高校時代からの
バイク仲間と山形県かみのやま温泉旅行兼ツーリングに行ったのだ。

えっ、盆暮れGW以外に10日連続の有給?と思われた方も多いと思う。
昭和の時代、出勤簿は部長の机の上にあり、休みを取るにも部長の顔色を見ながらお伺いを立てて、
恐縮しながら書き込んだ物だった。
だが、このブログのブックマークしている方にはもうお分かりと思う。私は部長が帰宅した後、出勤簿に






休みw






と書き込み、当たり前のように旅立った。

温泉旅行だけに10日も必要ない。そう、友人と温泉三昧の後私は一人隊列を離れ関西方面へ向かった。

途中を語ると長くなるので、岡山県に突入時の画像
1986夏祭り01

こちらgooooogle先生からの現状。

日生町は備前市になっちゃったね。当時は遠い場所が自宅に居ながら確認できる時代が来るとは想像できなかった。

この日広島県の福山市に泊まり、翌日フェリーで四国に渡り宿を探す時間を逆算しながら高松市を目指した。

予定通り夕方、高松駅前に到着したが、もちろん宿は予約などしていない。
1日走り疲れてはっきりとは憶えていないのだが、駅前広場の隅に観光案内所のような施設があり、そこで
「素泊まり可の安宿は無いですか」と尋ねたのだ。
「食事なし2500円の旅館はある」と言われ即決、場所は駅の近くだが迎えに来るとの事で暫し待つと、
自転車に乗った私より少し年上に見える男性がやってきた。
「私に付いてきてください」と言い自転車を漕ぎ出すが、歩道をバイクで走るわけには行かない。
総重量200kg超えのバイクを押しながら後を追う。

言われたとおりすぐに着いたのがここ
1986夏祭り02

純旅館と書いてあるが、鉄筋コンクリ風の商人宿で風呂は個人宅にあるような一人で一杯のポリバスを共用、
エアコンなんか無く、壁の大穴に取り付けブンブン唸る一体型クーラーのある部屋だった。

素泊まりなので晩飯を何とかしなければならない。
高松駅前まで歩いて戻ったが、食事よりも酒を出す店ばかりだったと記憶している。
所謂東京でよく見かけるファストフードの店は何も無いのだ。
当時酒嫌いだった私は大いに困った。

今なら泥タブで検索してササっと移動するのだが、旅の疲れもあって碌に食事を取らず宿に戻ったのだ。

翌朝は6時に出発。この日のうちに東京に戻るつもりなのだ。
出発前の記念写真を一枚。

1986夏祭り03

いつの日かこの場所にもう一度来る時の為に。
----
それから30年。
息子がGWの旅行で香川県の高松に滞在してると知ったのでチャットで画像を送ったら翌々日返信が来た。
1986夏祭り04

やってくれたぜ。でも残念ながら廃業してしまったようだ。
1986夏祭り05

帰りは高松を朝6時に出発し、下道のみで昼に大阪、さらに下道を走り続け夕方浜松で高速に乗るも疲れて休みがちになり
東京着は22時。
バイクの煩いエンジン音で耳鳴り状態になりつつ翌昼まで爆睡したのでありました。

----
有給明け初出社した時の部長はどうしたって?
10連休とった事よりも、東京~山形~広島~四国~東京と周回した事を怒ってた。
前例が無い。無謀、無計画だって。
だから安定安全な前例を作ったのさ。
関連記事

取引先が無くなると言うこと 2

大分間があいてしまいましてけど、前回の続きです。
前回記事 取引先が無くなると言うこと1

電話に出る。
番頭:「lcxさん?××の■■です。急な話で申し訳ないのですが、××が先週いっぱいで廃業してしまいまして。
私も今朝お店に来て初めて知ったんですよ。それでまずはお得意さんへ連絡と思って。」
当たり前だがその口ぶりから動揺が感じられた。
私:「実は先週末そちらのお店の前を通りかかって、廃業の張り紙に気づいていました。」
番頭:「代わりの材料屋を紹介することも出来なくて申し訳ありません。私もこれからどうしたものかと。」
私:「私は携帯番号変えませんのでそのまま残して置き、■■さんがもし同業他社へ転職したなら必ず連絡ください。
お客として付いて行きますので。」
しかし番頭さんとの付き合いはこれが最後になった。

番頭さんとは普段余りプライベートな事は話さなかったのだが、私と同じ位の年齢だっただろうか。
以前大きな材料屋に勤めていたとの事で、板金材料の取り扱いや特性、大凡の納期、適切な工具の事も良く知っており、
施工前の相談から発注まで安心して頼める人であった。
最近は食品スーパーのような自分で選んで買い回る材料店、工具店が増えているが、そこの店員全員が必ずしも材料に
深い知識を持っていたり店も問屋に納期的な融通が利くかというとそうでも無いのだ。

また20年ほど前まで、街の小さな材料屋の社長は小僧時代一緒に働いた同期生とネットワークを組んでいて、遠くの現場で
材料が足らなくなったりして取引店に居場所を電話すると、「▲▲って店に行き俺(社長)の名前出して品物貰って!」と
店同士の伝票融通で商品を間に合わせることも出来たのだ。
こういう経験をしているので、有能な個人店員は応援し付いていきたくなるのである。

さて当面の材料手配をどうするか考えなくてはならない。掛売りでなく現金払いで仕入れに行く事になるが
「現金払いで仕入れに行く」
2000年(平成12年)秋に起きた換気扇や配管材料を仕入れていた店の、倒産に纏わる話しがあるのでそれを続けてみたい。

都電雑司ケ谷駅


関連記事

2016/05

直メールやコメント返信放置になって申し訳ありません。
自分も息子も帰りが遅いのは同じなので、家事は出来る時だけやり無理にやらず放置に切り替え半年ほど。
そのリズムに馴染んだ所で、普段持ち歩いている泥タブレットにキーボードとマウスが繋げられる事を最近知り、
これなら空いた時間に文章だけでも入力しておけるぞと早速安いのを揃えました。
これで上手くいかなかったらこのブログも閉鎖,,,,かな。
まだ色々とネット上に残しておきたい画像や記録はあるので、細々と続けたいと思っています。

この連休、10連休なんて豪華な人居るのかと思ってたら一番身近な息子がそうだった。
相変わらず毎日の帰宅は私より遅いが、休みはちゃんと取らせて貰える様で旅行好きな彼はちょっと連休があると、
黙って東北や北海道に飛んでいた。
今回は先に気づいたので、どっち方面に行くのかと尋ねると四国一周の自由旅と答えた。

私も彼と同じ歳の頃親に行き先を告げず、普段はお客さんの荷物を入れる箱にテントや着替えを
入れて、バイクで日本中を走り回った事を思い出し昔のアルバムを引っ張り出してみた。

上、1989/8 北海道の足寄にある観光名所
下、1988/8 沖縄県名護市役所 この建物はデザインが秀逸
進行待ち4

どうやら旅好きのDNAはしっかり受け継がれたようだ。
関連記事
記事の分類
新しい記事
皆様からのご意見
月別アーカイブ
写真撮影と作文してる人

lcx7672

HN:lcx7672

今までの参照数
リンク

ブログ内検索
RSSフィード
記事内容に対する問い合わせはこちら

お名前:
返信先メールアドレス:
件名:   
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。